朝のホテルにて
今日はフライトの日!ということで、朝まだ酔いが冷めていない感じがして、5時くらいに目が冷めてしまった。それから、なにをしようか迷った。もちろん、身支度をするべきなんだけど、それもなにかやりたいなぁと思えない感じ。なんだか嫌な感じがした。それで、仕方なくシャワーを浴びて、準備をすることに。僕は、昨日買っていたジャスミン茶を飲む。それでもあまり寝ることができずに、結局のところベットでごろごろしたり、フライト情報を見たりして時間を過ごす。やっとのことで、まだ頭がクラクラしていたんだけど、準備をして送迎バス乗り込む。
そこで、悲劇は起こった。
送迎バスに乗った瞬間、なぜか手先がだんだんしびれてくる。最初はおそらくなにかまあ酔ったことによって反応したものなのかなぁって思う。だけど、どんどん時間が経つにつれて、上まで上がってきて、次は足がしびれてくる。そして5分後、口あたりもどんどんしびれてくる。胃がキューーーっと圧縮される感じの潰される感じで、そこからじんじんとあったりにしびれが伝わり、ついには僕の指先は「硬直」してしまい、麻痺と痙攣してしまう。同時に僕は「これはやばい」と気づく。それで、バスの運転手さんになにか言おうとしても人に迷惑をかけてしまうということまだ考えられていたので、がんばってターミナル1に到着するまで待つ。そして、終点のターミナル1に到着してすべての人が降りようとした瞬間、僕は大きな声で叫ぶ。
運転手に大きな声で叫ぶ
「運転手さん!すみません!水くれませんか。。脱水症状で、やばいです。。」って。。本当の命が危ないときは、こうやって叫ぶことができるんだなぁって思った。それで、運転手さんに水を買ってきてくださいって命令してしまった。それから、前にいたお客さんに水筒をもらい、水をたくさん飲む。それから、前のお客さんに脱水であることを伝えて、生理食塩水を買ってきてもらうようにお願いする。
僕は、なぜかこのときは救命救急医のように、自分がどうなっている状態なのかわかっていた。これは、自分が大学で生命科学を勉強していたからで、本当にこうやって救急のときにわかるので、すごく知識は大事だなぁと改めて思う。それから3分後に、空港の職員さんがバスの中に入ってきてくれて、ゲボを履くための袋をトイレットペーパーを持ってきてくれた。大丈夫ですか?って。だけど、その時にはもうげぼを袋に履いていた。それは、さっき水を大量に飲んだから。まだ、僕の体にはアルコールが残っているのかな。脱水のせいで、血液の流れがおそく、水を飲んでも飲んでも吸収されないので、アルコールの濃度も薄まらない。だから、アルコールがなかなか抜けないわけだ。僕は本当に歩けないほどだった立ち上がれない。力が入らない。しびれと痙攣で、指は硬直していて、くちばしの形をした感じで、ペットボトルの蓋も開けられなかった。それくらい本当にやばかった。水筒をくれたときも、飲ませてくださいって言ってしまうくらいだった。
本当に、死を覚悟した。だけど、水を飲んだあとは、その症状は収まり、手先はしびれているけど、なんとか歩けるまで回復した。これによって、水を飲んだことによって、症状が改善したので、脱水か、ナトリウムイオンなどによって回復したということがわかった。だけど、再び吐いてしまうと、またさらに脱水してしまいpHがアルカリ性になることを予感した。それで、空港になんとか職員さんの力を借りて、リュックを持ってもらい、そして、近くのベンチで座った。だけど、そこでもすごく気持ち悪くなってしまい、職員さんが優しく、僕を支えてくれているのに、そこで吐いてしまった。本当に申し訳ない。それで、なんとターミナルは1ではなく2で、時間を変更したいときなんだけど、なんとチェックインカウンターに行かなくてはいけない。なので、フライトまで1時間前までにチェックインをしないといけなく、なのでバスで15分かかるらしいので、がんばって行くことにした。それで、嘔吐してしまったけど、その袋を持ち、バスの前にいたお客さんがあとでポカリスエットを買ってきてくれたので、それを少しづつ飲んでいた。
もう一度あの症状が出てきたので、救急車を呼んでもらうことに
バスに職員さんと乗り込んだ。それからのこと、バスに乗っている途中に、職員さんは、生理食塩水を買える場所を教えてくれた。だけど、急にまた胃が押しつぶされる感じがして、そこからじんじん伝わってきて、ついにはまたさっきと同じ症状が出てしまった。これはもう脱水で、飲んでも飲んでも吐いてしまうので、点滴が必要だと確信した。生理食塩水を打ってもらわないと、どうにもならない。これは、僕が子供のころの知識だった。僕は小学生のときは、2週間に1回は熱を出して、ゲボを吐いていて、よく病院へ行っては点滴をしてもらっていたので、これはよくわかっていた。ゲボを吐くと脱水症状になるので、点滴をしてもらうということ。だけど、口もカピカピだったので、これは脱水だろうと確信していた。なので、もうしょうがなく、その職員さんに、ターミナル2に向かっているときに救急車を呼んでもらった。なぜか、救急のときは人の目など全く気にしなくなる。生きることに精一杯なんだ。だからこそ、「生きる」を感じるのは「死を直面しているとき」なんだ。だから、「生きる」を感じたいならば、「リスク」をとって行動することが大事であるということを感じた。さて、それで救急車を呼んでくれた。本当はターミナル2で並んでチェックインカウンターで時間変更をしてもらえばよかったのに、もう今日行くならば新しいチケットを買わないといけなくなってしまった。同じあやまちをしてしまった。ジョージアのときは5万円くらいでチケットを買って、なんとかたどり着いた。今回も同じだった。チケットロスをしてしまった。でも、これも経験かって。それに、保険証も持っていないのに救急車を呼んでしまった。だけど、死ぬよりはもちろんよっぽどいい。それで、救急車と同時に警察みたいな警備員さんも来てくれて、事件性がないか確認をしてくれた。おそらく、金正男のあれのようではないかどうかの確認だろう。救急車は15分くらいしてターミナルに到着し、僕は歩いて救急車にのった。ベンチで待っているときには、助けてくれた職員さんに「ありがとうございました。また、将来成田空港であったときはお礼をさせていただきます」とお礼を言った。
もはや、救急車ではない。おそすぎて呆れてしまう。
救急車に乗り込む。僕の手は硬直していて、水分を飲むことができない。口は乾き、手の表面には汗をかいている。これは明らかに脱水症状だと思っていた。救急車が発信するまでに、事情聴取と言わんばかりか、いつアルコールを飲み、誰と行き、どこで飲んだのか。そして、何杯のみ、最初にいつ嘔吐したのか。そして今の症状、母の電話番号、家の住所とすべてを聞いてきた。救急車の意味があるのか?って思った。これには疑う。まさに、スリランカの人が世話をされずに、聞いてもらえずに、死んでしまったあれを思い出した。救急車ではないと思う。本当に、すぐに搬送しろよって怒りのほうが強かった。こいつなんなんって。これが日本かって思うほど。すべての情報を聞いてから搬送しますって。おせえんだよくそが。
大学病院へ到着して、まるで救命救急のようにたくさんのドクターに囲まれる
それは置いといて、救急搬送をしてもらった。久しぶりだった。人生で3回目の救急車。大学病院まで搬送してもらい、久しぶりにベットを運んでもらい、いちにのさんっていう感じのあれもあった。そして、そこで7人くらいの先生やスタッフに囲まれて、いろんな検査をしてもらった。まずは研修医の人が血を抜いてくれ、そこに点滴の生理食塩水をしてもらった。研修医なので、針をさすのも下手で、僕の血は大量に出た。だけど、病院に着くととても安心した。脈も早く、熱が37.5あった。検査は本当にたくさんの検査もしてもらい、さらにはエコー検査もしてもらった。研修生だから、医者の人が僕を練習台にして、これが大動脈で、これが心臓なんだよっていう感じで、エコーで見ていた。僕の心臓が動いているのを見た。すごいなぁって思った。それで、その研修生は僕に「もっかいやっていいですか?」って個別に聞いてきて、ゼリーを塗られ、もう一度やられた。どんどん学んでくださいって思った。それから、僕のアクセサリーのラピュタの飛行石かわいいねって言われたので、嬉しかった。それで、僕は眠たくなってしまい、80%寝ていた。たまに起こされて、いま大丈夫ですか?って聞きに来てくれる人。はい、大丈夫ですって答える僕。頭がじんじんしてきたりもしてきたので、それを伝えたり。おそらく熱があるからでしょって言われる。それから、結果を言われた。肝臓や臓器に異常はないし、若いから大丈夫!二酸化炭素がすごく減少していたから、おそらく過呼吸になってたくさん二酸化炭素を出してしまったからこれが起こったんだと思うと言われた。テタニーだって。なので、とりあえず原因はわかり、脱水も軽い脱水を起こしていたらしい。生理食塩水を補給してもらうと、やっぱりだんだんとしびれが取れてきて、ついにはあるけるようになった。それで、僕はいちおう追加で生理食塩水をしてほしいと頼んだのんだけど、早く行ってほしい感じもしたので、自分は大丈夫ですって言って、それで荷物を持ち、500ミリリットルの生理食塩水と吐き気止めを打ってもらって、1、2時間くらいしてから普通に歩いて、会計場所へ案内してもらった。ということだった。
調べてみると、原因は「テタニー、アルカローシス」だった
あとからネットで調べてみると、「アルカローシス」だった。嘔吐をしすぎて、胃液を吐きすぎてしまった結果、胃液(酸である+イオン)が減少した結果、体内でーイオンが残り、体のpHがアルカリ性に偏ってしまった結果、チャネルやカルシウムポンプで平衡が偏り、こういったテタニーになったりアルカローシスになり、結果的に硬直や麻痺、痙攣が生じたということだった。いやいや過呼吸じゃないやん。そう思った。まだまだだなぁって思った。上から目線で申し訳ないけど、本当にそうだ。ということで、とても勉強になった。会計はさていくらなんだろうって思って、銀行でとりあえず5万円をおろした。そして、会計カウンターに持っていった。だけど、マイナ保険証があればいいということで、僕はマイナンバーカードを持っていたので、それをスキャンしたら、なんと保険が効いた!ということで、それで結果5100円だった。まじか。。100%負担でも1万5千円って安いって感じた。
こんなすばらしい経験を45100円でできた。新しいチケットを買う。
僕は5100円をお支払いし、空港へ向かうバスを予約した。まじか、点滴して今日は休む予定だと思ったけど、なぜか体がそうしてしまった。そして、お昼はキーマカレーを食べて、胃液を作らせるように促した。自分でもすごいと思った。救急車で運ばれた夜にフライトでベトナムへ行くなんて。それで僕は空港に戻り、そこでベトジェットエアーのチケットを購入した。なんと、40000円した。実際に購入したときは24000円だったのに、当日はこれだけした。やばい。ああああ。まあでもいいや。これも勉強、そしてすばらしい経験なんだから。こんな経験、10年後、いや2日後にはもうすばらしい思い出話に変わっているんだから。濃い人生を生きたなと語れるではないか。これはすごく価値があるものだよ。僕はそう思い、16時30分のフライトのチケットを購入し、ベンチで待った。そして、ついに時間が来て、飛行機に乗り込み、離陸、5時間空の上を楽しんだ。
ついにベトナムのハノイに到着!
そして、ベトナムのハノイへ到着した。今回は、リュックサックを預け荷物に入れた。これは初めての経験だった。だけど、10キロくらいあるので、絶対にオーバーしてしまうので、預け入れるしかなかった。無事にハノイに到着した。そして、無事にパスポートコントロールも通過し、ビザも有効。今日が入国日だったので、どうしても今日行くしかなかった。だから、本当に行けてよかった。
さっそく銀行ATMからお金を引き出し、SIMカードを購入し、ダウンロードしていたタクシーアプリを起動してタクシーを呼び、泊まる場所まで連れて行ってもらった。そこは街の超中心街。到着して、やっとのことでセルフチェックインで開けた。なんだけど、問題はシャワーとトイレが同じ部屋にあり、めちゃくちゃ汚いということ。そして、キッチンも使い物にならないくらい汚いということ。そして、シャワーをすると目が痛くなるのでおそらくシャワーには酸が強く含まれていて、消毒されているということがまるわかりであるということ。そして、ロシアの寮に住んでいた頃のことを思い出したこと。本当に初日からいろいろとおもしろいことばかりで、最高のベトナム初日だった。